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不妊患者は日本に10組に1組いると推定されており、生殖補助技術による不妊治療を実施する医療機関数は全国に500余りだといわれています。
不妊治療を受けている患者は、自身の不妊であること、家族間の葛藤や悩みに加え、社会での生きづらさ、治療成果が確かではないこと、インフォームド・コンセントやカウンセリングの体制の遅れなどからもたらされるストレスに長期に渡ってさらされています。その当事者たちの思いは、個人的なこととしてあまり関心がもたれていないことが現状なのです。
それゆえに不妊という苦悩について、その現状を伝えること、そして子どもを望みながらかなえられない女性が、いかに今の不妊という状況に意味づけを行うことができるのか考えていきたいと思います。 -
何年も不妊治療を続けていると、治療そのものが日常生活に組み込まれ、「治療していない自分」が想像できなくなってきます。
いったん生活のなかに治療プログラムが組み込まれると、それを辞めることは新たなライフスタイルの構築を求められることになります。「長年見続けてきた幻想の子ども」を喪失することでもあるので、子どものいない人生をあえて選択するのはなかなか難しいのです。このように不妊症経験は、コントロール感覚、つまり、自分に関することは自分で決定・実現できるという感覚を失われる性質をもっています。
しかし、生物学的な面はコントロールするには限界があるのだという現実を受け入れることは簡単ではありません。
そこでカウンセラーは、自分の人生の選択や将来に関する決断については、完全にコントロールできるのだということを当事者が認められるように援助していく必要があるのです。<参考文献>
平山史朗・岡親弘・高橋克彦・富山達大「長期不妊症患者に対するカウンセリング」『不妊カウンセリングマニュアル』メジカルビュー社、2007年 -
そして、「治療の成功と不成功の責任を自らの肩からおろすことができたら、夫婦は妊娠の可能性を使命ではなく、贈り物と思えるような、たとえ妊娠しなくても自分たちを責めることなく、不妊症を自分のコントロールの限界を超えたこととしてとらえることができるのではないでしょうか。
<参考文献>
平山史朗・岡親弘・高橋克彦・富山達大「長期不妊症患者に対するカウンセリング」『不妊カウンセリングマニュアル』メジカルビュー社、2007年 -
この図は、一般不妊治療から高度不妊治療に移行(ステップアップ)する治療過程と心理過程を示しています。
新たな治療に対して「今度こそは」望みがかなうかもしれないという期待感と、「今回もダメだった」という落ち込みが繰り返され、精神的には降りられないエレベーターに乗ってしまったようになっていくのです。 -
不妊体験とは期待と失望の波を避けられない体験なのです。しかし、個人差はありますが、不妊体験は、夫の優しさや心の支えに気づくという夫婦の関係性を考え直す有意義な時間にもなり得ることもあるのです。当事者たちから、夫婦でこれからの生きかたを考えたことを、意味あるものとして遺すことができるというポジティブな語りも伺えました。
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不妊という状態を抱える現代人は増加しつつあります。そこで当事者には、身体医学、生物学的対応だけではなく、心理・社会的側面を含めたケアが必要となっています。見立て(診断)とケア(治療)には「全人的医療」のアプローチが必要であると考えます。そのためには、産婦人科医、泌尿器科医、心療内科もしくは精神科医、看護師、心理士、社会福祉関係などのチーム医療としての連携は必要不可欠なのではないかと考えます。
<参考文献>
北村勉・坂本正俊「不妊夫婦の問題点の分析法」『不妊カウンセリングマニュアル』メジカルビュー社、2007年 -
これまで生殖医療は医師指導で実施され、患者も「医師にお任せ」という態度をとりがちでした。また、医療側の事情としては、患者数の増加と施設の経営的側面から、一人の患者に費やせる時間は短くなり、その結果、現状としては治療の情報提供は医師以外の医療従事者に求められるようになっていきました。
しかし、患者が何故「医療職ではないカウンセラーに医療に関する情報提供を求めるのか」という問題は見過ごしてはならないのです。何故ならば、患者が医療スタッフとのコミュニケーションに困難を抱えているという悩みが少なくはないということがわかるからです。そのために「今、ここ」で、カウンセラーに向けられた患者の思いに繊細に配慮すること、納得して治療を受けられる連携づくりに対する支援をすることを忘れてはならないのです。
<参考文献>
平山史朗「生殖心理カウンセリング」『図説よくわかる臨床不妊症学<一般不妊治療編>』中外医学社、2007年 -
さらに当事者の訴えのなかで多いのが、「これからの治療をどうすればいいのかわからない」という治療の意思決定に関する相談だといわれています。これは医療者側の援助であり、カウンセラーは、その人の価値観に照らし合わせて治療のメリット/デメリットを検討し、他の選択肢について可能な限り考慮しながら自己決定を納得のいくものとする役割があります。さらにそれをパートナーの決断と照らし合わせ、円滑にカップルとしての意思決定を行うようにそのプロセスに関与します。これは「意味づけのカウンセリング」として、カウンセラーの重要な役割なのです。
さらに不妊カウンセリングは治療終結の援助であると思われがちですが、これありきになると、はじめから治療をやめることが前提で、そのためのカウンセリングとなってしまいます。そうではなく、治療が長期化した場合、カウンセラーは当事者の話をよく聞いて子どもへの期待や人生における意味を確認しながら、その人の不妊体験を人生に統合していくというプロセスを共にするという支援が重要なのです。 そのため、当事者が迷うときには時には立ち止まるプロセスもともにする覚悟も必要です。また、治療を終え、新たな人生を踏み出すことの恐怖や不安や孤独さを受け止めながら、それをやりぬくところまで見届ける支援が必要なのです。故に、治療中の相談に留まらず、その後の支援が重要なのです。
<参考文献>
平山史朗「生殖心理カウンセリング」『図説よくわかる臨床不妊症学<一般不妊治療編>』中外医学社、2007年 -
一般にカウンセリングとは、「温かい人間的かかわり」というイメージが定着していると思われます。しかし、不妊のケースにおいて「当事者を元気にさせる、励ます」必要はないのです。なぜなら、辛いときに悲しむ時間を与えることなく、早く立ち直らせようとすることは、かえってその人が悲しみから踏み出すことを遅らせてしまうからです。健康な人が自分にとって、大切な人やものを失ったときにそれを乗り越えるためのプロセスとして、「悲しむ」ということは重要な行為であり、あいまいに乗り過ごしてはなりません。 不妊体験は、毎月のように失敗=喪失体験を繰り返すという特殊な性質をもち、さらにその喪失もはっきりと誰かが亡くなるというものと異なり、「あいまいな喪失」という側面をもつため、当事者が悲嘆の作業をやりぬくことが困難になる可能性があるのです。 もし、喪失を受け入れることなく、次へ進むならば、「なかったこと」へ移行されがちで、少しの解決にもならないことになります。
さらに、一般に不妊当事者の多くは精神病理的に問題がないとされています。しかし、不妊当事者は孤立感が強く、不安感と期待感が常に同居しています。医療機関に勤務する不妊カウンセラーとしては、医療従事者兼カウンセラーという立場の人が多くみられます。しかし、不妊経験を自身の人生のなかに組み入れていくというプロセスの援助には、医療従事者よりも独立した立場であり、また、生殖医療を俯瞰できる心理士が援助者として適切であると考えます。 そして、心理士は医療者と連携をとり協働しながら、「妊娠=幸せ、成功」という図式にはまることのない人生を、自分なりに折り合いをつけて生きていくことを支援する立場をとり続けることが必要なのです。
<参考文献>
平山史朗「生殖心理カウンセリング」『図説よくわかる臨床不妊症学<一般不妊治療編>』中外医学社、2007年 -
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当事者たちの語りにおいて、不妊治療を初めて受けて、「なぜ自分なのか?」「どうして私だけ?」という疑問を持ちながら、個人的な生殖に医療が介入することを仕方がないことと受け入れてました。
そして、「子どもはまだ?」という周囲の声に過剰に反応するようになり、特に子どもがいる女性とは交流しなくなる傾向も伺えました。彼女たちは夫に対して、2人の生命の延長・この世に遺すものを生み出せない自分のカラダを妻・嫁・女性として役割不遜ではないか、存在意味はないのではないかと責め・問い続けるのです。
「何もない」自分だと、ある女性が言った言葉がとても印象的でした。このため治療では、焦りを感じ、もっともっととすでに治療から降りれない状況に陥っていたのです。しかし、治療に入って唯一得られたものは、この苦悩を夫と共有することによってより確実な絆が築けたこと、「遺せるもの=仕事」という観点から、改めて与えられた仕事に対して使命感をもつことができたという肯定的な意見も伺えました。 -
フランクルの言葉によると、人間にとっての苦悩は人間の本質であり、その苦悩のなかに人間として生きる意味が見いだせるといっています。つまり、人生そのものが一つの問であり、それに答えなければならない自分が存在するのです。それには責任性が生じるのです。「どうして私だけ?なんで自分だけが・・・」という「不本意」な気持ち、周囲の期待に応えられない「自責」、あるいは不妊による「疎外感」「焦燥感」、子どもをもつことを諦める「諦念」、それぞれの状況を問うのではなく、同時にその状況に答えていかなければならない自分が存在することを意味しています。不妊を医学的な原因に置き換えるだけなら、結果がすべてなのですが、自分自身が不妊であることで、自分に何が問われていることを考えることによって、結果ではなく意味やその価値が生まれるのではないかと思うのです。
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そして、子どもがいない現在の自分のこの状況の意味は何か、何が自分に課せられているのかという逆の問いかけをする「態度価値」をとることが、主体的な生き方への出発点となると考えられます。
苦悩を引き受け、自分の課せられた運命を受け入れられたとき、はじめて新しい人生のリスタート点に到達することになるのです。医療に身をゆだね、苦悩の原因を医療だけに向けることになると、子どものいない家族の再構築はどんどん遅らせることになり、むだな時間と苦しい経験を過ごしたことだけが残ってしまいます。不妊の現状に抵抗しながら治療をするだけではなく、置かれている状況や可能性のなかで、それを引き受け何ができるのかを考える必要があるのです。 -
私が理想とするカウンセリングは、その人のこころのなかにあるもやもやとし何かわからない憂鬱を表象化することです。何となくイライラしたり、憂鬱、寂しい、無気力になってしまうような自分でもよくわからない状態にある場合、それを客観的に聴き取ることによって、その人の心にあるいろんな訴えを交通整理し、その悩みを言葉で表象化することができるように手伝いをすることです。それによって、本当は何が気になっているか、本人に「気づき」を与えることになるからです。
しかし、カウンセリングだけでは、当事者の支えにはなりません。
カラダとこころ全体を理解するトータルな対人援助が必要です。不妊への支援においては、それぞれの専門家たちが切磋琢磨に構築していくものの、役割が分断されていて、つながれていない状態だと考えられます。
故にさまざまな研究および臨床領域を超えて、共通の問題意識の原点を探求し、個々の領域の業績を別の角度から見ることも必要不可欠だと考えています。